何年越しの片付けなのか

題名の通り、大がかりな片づけはいつぶりか
というくらい、何年も片付けから逃げてました。
やりかけたことは何度もあったけれど、最後まで
やりきらず、部屋は散らかるばかり。

昨年夏、やっとその気持ちに勢いがついたものの
今の今まで持ち越しで、ようやく進歩が目に
見えるようになってきました。

片付けをする気になれるって、心的に落ち着いた
状態とか、健康な状態だと聞いたことがあります。
片付けられてなかった頃はこんなに活発でやりたい
こともたくさんあるのに嘘だって思ってましたが
本当なのかもしれない、と思う本日です。

片付けていると、懐かしいものがたくさん出て
きました。いい思い出も、当時には苦い思い出も。

私は第一希望の大学には入学できていないのですが
今はそれで良かったと思ってます。
でも、当時の私は今の大学にお世話になる気は
(自分の成績が微妙だとわかっていたくせに)全く
なかったみたいで、合格通知は折れてました。

第一志望の大学に落ちたことはショックではなく
身の回りの人達が不合格の連絡に気を遣った返信を
してきてくれたのを見て泣きました。
私の努力が明らかに足りなかったのになぁって。

そんなことを思い出したり、

高校最後の文化祭で撮った、新選組のコスプレ
写真を見つけて、一緒に写真を撮った盛りカゴ氏は
今でも時間をつくって、並んで写真を残したいと
思う貴重な友達の1人なんだよなと思ったりとか。

もう大切ではなくなったものを捨てながら、今も
大切なものをかみしめてました。

昔は捨てられないと思っていたのに、今はもう
捨てられるものも結構あったりして、自分の
過ごしてきた日々の軌跡を感じます。
つまり楽しい。

昔、部屋を大々的に片付けた時、太めの押しピンを
ある壁に刺すか刺さないか迷ったのですが、自分は
ラッピングが好きだから、ずっとこの場所は
ラッピングスペースとして使うだろう、使い勝手も
いいし!と思って結局刺しました。

今、そのピンを抜こうと思いながら片付けをして
います。

「絶対」なんて、ないんですねー。

然る歌の歌詞で

「絶対なんて言ってしまう時程
        そっと心は迷ってる」

という部分があるのですが、あれは刺さりました。

そう、今も揺らいでいないことの大半は、思えば
宣言していようといなかろうと、「絶対」という
言葉を使ったりしていないんですよね。
意識もしてない。「絶対」と言うまでもなく
自分の中の当たり前、当然なんですよね。

不安でも進むしかない、その背中を押すときに
使っている気がします。だから確率としては
たぶん100%じゃないんです。自分がどこまで
やるか、どれだけ相性がいいか。
そこに左右される。


…片付けひとつで、いろいろ考えるものだなぁ
というお話でした。

明日も片付けをして、明後日は出掛けます。
あ、安定で日付が変わってるので今日と明日に
読み替えてください…

では、また今度。おやすみなさいです。